サービスのご案内


フェルデンクライス・ATMクラス:毎週火曜日19:30−20:45
場所:Conte-Sapporo
札幌市西区琴似1条4丁目2−15ニシムラビル4F
(東西線琴似駅すぐ)
http://conte-sapporo.com/evb_feldenkrais.php

フェルデンクライス・FIレッスン:完全予約制
場所:地下鉄円山公園駅徒歩5分
料金:8,000円(ATMクラス受講者、子供は割引あり)


Integrated Healingセッション:完全予約制
対面:15,000円
スカイプ:13,000

ご興味のある方、どうぞお気軽にお問い合わせください。
fk-hakusan[at]hotmail.co.jp
(*[at]を@マークに変えてください)
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2018年12月30日日曜日

今年を表す言葉

札幌に住みだして4ヶ月が経ちました。

今年は雪が少ないそうですが、今はいい感じに降っています。




















さて、今年を表す漢字は「災」となったとか。
全国あっちこっちで災害が多かったから、らしい。


振り返ってみると、一年前の今頃は
ジュネーブから東京への帰省中で
ジュネーブ生活の今後が怪しくなりだした頃でした。
でも一年後に札幌に住んでるなんて,
あの時は想像だにしてなかったのですから
人生面白いものですね。


そして年明け、ジュネーブに戻ってみると
夫への解雇通告。😱😱😱
いやー、、、あれはショックだったなー。
泣いたもんね。
私より彼の方がキツい思いをしたに違いないのだけど。


で、そんなイベントがあると
当然いろんな否定的な感情が出てくるわけです。
でも私はこういう時こそ、自分に気づく良いチャンスだって
知ってたので(うふふ)、内側の探索しまくりでした。
その過程で、自分でもびっくりするぐらいの
怒りが出てきたりして、なかなか面白かったです。
ほんとに「怒りで肩がぶるぶる震える」んだ!って思ったもの。
(次の日筋肉痛)
アパートのエレベータを蹴ったりしてた。
壊れて止まっちゃたりしたらどうしよう、と思いつつ。

そんなドス黒いものも、良い悪いの価値判断なしに
きちんと出してあげるってすごく大事なのです。
出すとその奥にあるものが見えてくるから、
そこに行き着くのが肝要。

この、温かく自分を受け止めるという作業の大切さに
関しては、学術論文も結構出てるようですよ。
脳にポジティブな影響を与えるというデータが
たくさん出てきているのですね。


そういう作業によって解放が起こると、
世界もそれまでとはかなり違って
見えてくる。
世界を経験する主体が変わるから、当然経験も変わってくるわけですね。
私なんて、夫のクビを決定した人が天使に見えてきたもん



「人間が自分に対してできる一番
重要なことは、自分を知ることだ 。 
ーモシェ・フェルデンクライス(’The Elusive Obvious'より)」




自分のことなんて、ほんとに知らないことだらけで
探索に終わりはありません。
探索を始めると、目からウロコな諸々が
おお、出てくる出てくる。
楽しいですよ〜。😄


まあ、そんな経緯で、札幌にご縁をいただいたのですが
・・・これがまたいいんだ。
正直ここまでいいとは思ってなかった。
すんごい住みやすい!
食べ物、チョーうまっ!!
回転寿司のレベル高すぎっ!!!


札幌にきて、ほんとよかったね〜
と、ほぼ日で鍋をつつきながら、三人で
この幸運を噛みしめる日々です。



そんなわけで、我が家にとっての今年を表す言葉は
「災い転じて福となる」



来年も全てを福に転換していきたいです。


皆様もどうぞ良いお年を!




2018年9月18日火曜日

靴教育の講演を聞きました

先日、本屋さんにぶらりと入った時のこと。

入り口のオープンスペースで講演会が行われてました。


(あ、ちなみに私はジュネーブを出て、今は札幌に住んでいます!)


のぞいてみると、「靴の選び方と履き方」について。
へええええ、一般向けに、そして本屋さんで
この内容のレクチャーが行われるっておもしろい。





















実は私の息子と夫、二人とも外反足気味なこともあり、
私にとってはかなり気になるお題。
「途中での入退場は自由ですので、よろしければお座りくださ〜い」と
声をかけていただいたので、座って拝聴しました。


講演をしてらしたのは吉村眞由美さんという方。
「靴教育学者」、というタイトルに、
え?そんなものがあるの??と、最初びっくりしたものの、
確かに靴ってすごく大事よね。。。。


足にあった靴選び、正しい履き方がいかに大切か、というお話でした。


ドイツに視察に行かれたとのことで、
靴屋さんに行ってみると、キャラクター系靴がない。
見た目じゃなくて、機能性で靴を選ぶ。
子供ではなく、大人が選ぶ、といったお話をされていました。

私はドイツのことはよく知りませんが、
一般的に、ヨーロッパでも足によろしくなさそうな
子供用の靴はたくさんあります。
ただそれは、子供の欲を駆り立てるキャラクター物や、
きらびやかな、見た目重視の物、というより、
単に安価なもの、かな。

あ、でもかかとに車輪がついていて
つま先をあげてかかとだけ地面につけると
ローラースケート感覚を味わえるものとか、
点滅する小さな電灯が散りばめられているもの、
なんてのはあったなあ。


同じ靴を履いていても、西洋人と違って
日本人は、靴でも草履や下駄を履く感覚で
履いてるんですよね。
そもそも、着物を着なくなっても、
草履を履かなくなっても
家の中から畳がなくなっても、
日本人の体って、それから体の使い方って、
着物と下駄の時代からさほど変わっていない気がします。
それは別に悪いことでもなんでもなく、
いっそもっと下駄や草履を履くようにした方が
いいんじゃいの?そんでもって、
もっと畳の素晴らしさを堪能しようよ、と
思ったりもするのだけど、
・・・まあ、とりあえずそれは置いといて。


靴を履く以上、靴の特性を生かした履き方を
しないと、体の害にすらなってしまう、ということなのですね。


それから私は知らなかったのですが、
カーブを早く走れる、という宣伝で
子供達の間でとても流行ったスポーツシューズが
あるそうですね。
足裏が左右非対称になっているその靴を
実際に見せてくださいましたが、
確かにそんな靴を長時間毎日履いていたら、体は歪みそう。


吉村さんが見に行かれたドイツの学校の
靴脱ぎ場?のお話もあって、そこにはベンチが
あって、そのベンチの下に靴を置く。
だからみんなそこで座ってしっかり靴を
履けるようになっている。
日本の学校では、縦一列にいくつもの靴箱があって
ゆっくり靴を履けない→足に良い履き方ができない、と。

確かにー。

で、やっぱり足のためには紐靴が一番いいそうです。
上履きにしても、バレエシューズにゴムバンドが
甲のところにある、あの昔ながらのものは、
足をきちんと守ってくれなくて、よろしくないそう。

で、靴を履く時、日本ではつま先を床にトントン、と
打ち付けて足をしっかり靴に入れますけど、あれって
鼻緒をしっかり親指と人差し指の間に
はめるためにやっていた名残のようですね。
靴を履く時は、つま先ではなくかかとをトントンと
して、かかとが靴にしっかり包まれるように
するのが大事だそうです。

吉村さんは保育園、小学校、等の教育機関でも
靴教育を行ってらっしゃるとのことで
足は体を支える土台だし、
機能的で理にかなった靴の履き方を、
これからどんどん広めていっていただきたいものですね。

2018年8月1日水曜日

ジュネーブ、ありがとう

























サッカーW杯が終わって、ようやく引っ越しに
本腰を入れて、ドタバタと日々は過ぎ去り、
先月末、不動産会社へアパートの鍵を
引き渡して、無事引っ越しは終了しました。

私、実は引っ越しってそんなに嫌いではないのですが、
やっぱり気が張ることがおおいのですよね。

あれこれとやることが多いと、ああ、明日は
何時にどこそこに行って、その後はあそこに行って、
それからあそことここに連絡を入れなきゃいけない、と
予定を当然立てるわけですが、それが、私にはかなり
ストレスなんだなということに、今回気づきました。

元々ものぐさで、どうも時間に遅れがちな
傾向にあるゆえ、ちゃんと予定通りに
できないんじゃないかと、どこかで心配に
なって緊張するみたいです。
それから、忘れないようにしなきゃ、と
不必要に力が入ったり。
そして頭に気が上ってきて、自分の軸
(みたいなもの)が完全にブレてしまう。

そしてそれがすぐに体調に
反映されちゃうもんだから
引っ越し準備中に、なんども
軽くだけど、体調が崩れました。
その度、IHでさっと自己セッションを
して持ち直す、とやってたのですが
とうとう引っ越し会社に荷物を
搬出してもらう二日前に完全にダウン。
丸二日間、がっつりと寝込んでしまいました。

でもこれ、薄々気づいていた上記の自分の傾向を
はっきり認識する、とってもいい機会になりました。

ダンボールの梱包、全然終わってないのにぃ〜、と
最初は思いながら寝込んでいたのですが、
そうやって未来の心配してストレスを感じながら
寝てても回復が早まるわけでもないしね、と
吐き気と頭痛に襲われながら、開き直りました。
引っ越しなんて、どうにだってなるんだから大丈夫。


自分の中にちゃんといよう

・・・ああ、そうそう、これだ。
これがすごく私には落ち着く感覚で、
うぇぇぇ〜、となりながらも、その感覚を探ってました。


そしたら引っ越し当日には、ちゃんと
(ってわけでもないんだけど)治って、
引っ越し作業をすることができました。

でも病み上がりの体で重いものを持ち上げたら、
作業開始早々に軽くギックリ腰になってしまったのですが。。。😅
まあ、それもどこに体が行きたがり、どこに
行きたがらないかに注意しながら、動いていたら
午後には、ほぼほぼ大丈夫になりました。


この、「自分の中にいる」。
一人で静かにしているときはすぐに入れるのですが
少しでも意識が外に向くと、すぐに吹っ飛ぶ。


外に意識を緩やかに広げつつ、中にいる

この探索は相当遊べそうです。


これがジュネーブでの最後の気づき、だったのかな。

ジュネーブ、3年間ありがとう。
また遊びに行きます😊


2018年6月23日土曜日

サッカーW杯とプロセス主義



ジュネーブの、W杯のために大型スクリーンを設置した野外観戦場
スイスーセルビア戦観戦のため、入り口に長蛇の列ができてました





























フェルデンクライスでは、結果ではなく過程を
大事にする、ってことをずーっと言ってます。

結果を出そうとしない、過程を味わう、
まあ言ってみれば「今」に100%
存在するってことですね。
というのも、過程を大事にすることによって
最終的に望む結果が得られるからなんです。
いや、それ以上に面白い、予想もして
なかったものが得られたりする。

だから、プロセス主義は究極の結果主義だと思ってます。



さて、今はサッカーのワールドカップで巷は大盛り上がり。
我が家も毎日試合を見てるので、子供は寝不足気味です^^;


ヨーロッパのチャンピオンリーグの決勝試合には
「公正」という文字はどこにもなく、
あまりに酷くて、がっかり。
(ラモスは正当な制裁を受けるべき、
というペティションに参加しちゃったもんね)
ワールドカップともなると、国同士だから
贈収賄なんてなくて、正々堂々と戦ってくれるんだわ♪
なーんて思ってた自分は、実にnaive(日本語の
’ナイーブ’はちょっと意味違いますよね)でした。

開催国ロシアは、きっと準決勝ぐらいに行くように
もう話は決まってるんだろうと思ってるけど
スイスもひどくてびっくり。
ブラジル戦も昨日のセルビア戦も
凄まじいファウルなのに、審判に見過ごされてる。
(あ、私はサッカー、何にもわからないド素人ですけどね)


そういう試合は、とにかく観ててまるで面白くない。
勝てればどうでもいいので、90分のプロセスが
完全に置き去り。
サポーターだと、そんな試合だろうと
なんだろうと、勝てれば嬉しいのかなあ。
不思議。

勝っても負けても正々堂々と戦うのが
スポーツマンシップだ、なんて
「そんなのは綺麗事だから」
と、言われるのでしょうね。

今は、まだ、きっと。


でも、そんな常識に飲み込まれる必要は
ないと思ってます。


スペインーポルトガル戦のロナウドは
すごかったなー。
途中、「もうダメだよね」っていう空気が
ポルトガルチームに漂いまくってる中で
点を入れてる。
いくらスーパースターがいたって、チームが
ダメだったら、一人じゃ何もできないし、
っていう常識を打ち破ってくれた。
ありがとう、ロナウド💗


人間はどこまでも、おもしろいです。




2018年6月9日土曜日

共生とほんとの欲求



ジュネーブは市場が豊富。
うちの近所の大きな広場でも週3回、生鮮食料品中心の市がたちます。

ジュネーブは、ほ〜んとなんでも高くて、
市場ももちろん例外ではないのだけど、
とにかく質が良くて好き。

スイス人は日本人のように国産好き。
そして地元主義が強い(他の地域は
知らないけど、少なくともジュネーブは)。
ジュネーブ産!って売ってるものが多いもの。

種類も豊富で、こっちに来てから、
今まで見たことない野菜をたくさん見ました。
それから旬のものが何かがわかるのも楽しい。
これ、ほんとに週ごとに旬のものが変わっていくのですよ。
先週は、ズッキーニの花、生アーモンド、
スイカがたくさん出てた。
それからその前の週の続きでワイルド・アスパラガスも。

ズッキーニの花














生アーモンド














ワイルド・アスパラガス





















今週の旬は何かな?



さて、市場というと午前中が相場。

でも、コルナヴァン駅(ジュネーブのメイン駅)
の裏、グロットの市はちょっと変わっていて
毎週木曜日の夕方開催。
規模は小さいのだけど、
チーズとかパンとかつまみながら
アペリティフを楽しむ人が多くて、
楽しい雰囲気。
今や、仕事帰りにいっぱいやる場所として
特に夏は大人気なのだそう。

2、3週間前に行った時は
天気も良くて暑かったからか、大混雑。
出ているテーブルや立ち飲み場所も
いっぱいで、地べたに座って
飲んでる人たちで広場が埋め尽くされてた。

すごい人だなあと思っていたら、
その数日後に、グロットの記事が
地元新聞に出ていました。
地域活性化の為に地元住人たちが始めたこの市場。
成功しすぎで困ってる、と。
ちっちゃい広場なのに、夏は1000人以上
人が来たりするらしい。
市が終わってもそこに夜中まで居残ってたり、
近隣の住民が困っているので
行政が対策に乗り出した、というわけです。

巡回員を出して、市場終了後に居残る人を
なくす、とか、アペリティフを
提供する屋台の数を減らす、などの
常識的な(?)対策の他に、
ジュネーブの他の場所にも、
グロットのようなアペリティフを
楽しめる場所を作って一極集中を
避けよう、という案も出てるそう。

これ、いいですよねえ。

問題があるからといって、
禁止したり抑制したりするんじゃなくて、
もっと楽しくやっていける方法を
考えましょう、お互い気持ち
よく過ごせる方法を
探っていきましょう、というもの。
グロットの住民たちも、
この市がなくなってほしいとは
思ってないそうで、まさに共生政策ですね。



「お互い気持ちよく過ごすために」

そんな言葉は日本でもよく聞くけど
なんかちょっと違うんだな。
そこには強要感というか、「私も
我慢してるんだから、あなたも
我慢してよね」という匂いを感じちゃう。

昔は、私もそういうところが多々あったので、
よくわかるのですよねえ。

・・・いや、今でもまだまだ残ってる^^;

最近どうも夫に対して、イライラすることが多い。
何度言ってもやってくれない!
私ばっかり〇〇してる!(ずるい!)、
とか、よくあるそんなこと。

これ、まさに「私も我慢してるん
だから・・・」、ですよ。

でもって、「お互い気持ちよく」
あるために、私のいうことを聞け、
なぜなら私は正しいのだから、
なのよね。(あ、私の場合は、ですよ)

で、こういう場合、相手をコントロールして
言うことをきかせたからといって
自分が満たされるってことはないのです。
だって、「ほんとうの」欲求はそれじゃないから。

私のこの奥には何があるのかなあ。
またじっくり探ってみます。

だって、ほんとに「お互い気持ちよく」毎日を
過ごしたいものね。


グロットの木曜市
まだ早い時間なので、そんなに混んでないですね






















左の屋台は我が家がよく買うパン屋さん
どっしり重い、ハードコアな自然派パンが色々
美味しいのよ〜














2018年5月31日木曜日

Bodyとからだ



 























フェルデンクライスのグループクラス(ATM)は、
基本、口立ての指示によってのみ、進行していきます。

そしてクラス中は、
「からだのどこが床と接触していますか?」とか、
「動きが、からだの中を伝わっていくのを
感じてください」、みたいなことを
よく言うわけです。

プラクティショナー養成コースで、通訳していた時
日本語でのATMを英語に訳すこともありました。
で、上に書いたような指示の「からだ」を
「body」と訳していたら、英語圏の先生に
「私たちは(フェルデンクライスでは)、
bodyとは言わないのよ。私たちが扱ってるのは
bodyだけじゃなくて、その人全て、だから」
と、言われました。


・・・おもしろい。


bodyっていうと、a body, a thing、みたいに
モノ、って感じがしちゃうらしい。
つまり、bodyとは目に見えて触ることのできる
肉体のことで、それ以上でもそれ以下でもない、
そういう、すごくはっきりしたもの、と
理解されてるのですね。

でも、日本語の「からだ」は
もちろん、肉体、って意味でも使うけど、
それだけじゃない気がする。
「からだの声をきく」とか、「からだと仲良くする」とか、
からだも一つの人格を持った存在、とでも言うのか、
もっと有機的なものとして捉えている気がします。

あとは、bodyっていうと
「からだ」以外の意味も色々あるから、
ってことも関係してるのかもしれない。


あ、英語圏の人がみんな、上に書いたような
考えなのかはわからないですよ。
フェルデンクライス業界だけ、あるいはその中でも
一部の人たちだけ、なのかもしれない。


いずれにせよ、その言葉が呼び起こすものが、
文化によって、言語によって
違うっていうのが、面白いなあっていつも思うのです。



みなさんは、「からだ」という言葉に
どんな意味を持たせていますか?







2018年2月2日金曜日

「先がわからない」を楽しむ



前に住んでいたブリュッセルで、首絞め強盗にあった時のこと。

「え???こんなことって本当に起こっちゃうの??」

首を絞められながらそう思いました。



それと似た気持ちになる出来事が、今年に入って早々に起こりました。
夫が、今年の九月で失職することになったのです。
そこに至る伏線は年末からあったのですが、まさかこんなことに
なるとは、夫も私も思っていなくて
もう、すごいびっくり。すごいショック。


夫の名誉のために言っておくと、彼がヘマをやらかしたとか、
問題を起こしたとか、そんな理由で解雇になるわけではなく
もう、これはただ運が悪かったとしか言いようがないのです。


彼はすぐに新しい仕事を探し始め、動いています。
で、現段階では、ジュネーブ、そしてスイスに
残る可能性はかなり低そう。。。


ジュネーブに住むことに総体的に満足していた私には
輪をかけてショック。
かなり心が沈みもしました。
こういう感情を押さえ込んで、無理にポジティブに
なってもいいことないので、
ちゃんと落ち込み、そして泣きました。

夫の職場に対する猛烈な怒りも出てきて、
それももちろん、きちんと吐き出した。
出しのススメにも書いたような手順でね、はい^^。


で、じゃあ私は、今、どうしたらいいのかな。

そこに思いを巡らせる。

ジュネーブを離れるかもしれない。
でも今はまだここにいる。

なのに、去るときのことを憂いて、
今を無駄にするなんて、すごくもったいない。
ここにいる時間を今、十分に楽しんだらいい。

自分は今、何をしたいんだろう?どうしたいんだろう?
そこになるべく正直な行動をするようにした。
そしたら、あ、「今、ここ、に100%いる」、って
こういう感じなのかな、と
うっすらだけど、見えたような気がした。


しいたけ占い、今年前半編にあったのです。
獅子座の人は「先がわからないという感覚を楽しむ」って。
そうそう、まさにそれじゃない!


冷静に考えれば、この事件(?)もそんな大したことじゃない。
いきなり路頭に放り出されたわけでもない。
そして命が奪われたわけでも、健康が奪われたわけでも。
それは、頭ではよくわかってる。
でも、感情がまだついてきてない。


昔の私だったら、そんなうじうじしてる自分が
いたら嫌悪して叱咤していた。
そしてそれが取るべき正しい行動だと思ってた。

でも今はだいぶオトナになった。
だから、そんな自分もちゃんと待ってあげる。


そんな過程で、私のセッションも随分も変わってきた。
優しくなって奥行きが出てきた。
そして私とって、本当に深くて大事な気づきも起こった。


こんな感じ、こんな感じ。


まだまだ落ち込んだり、怒ったりしながら
「一月はゆっくりスタート(byしいたけ占い)」。


そして、今月二月はラッキー月間で、
周りに味方をしてもらって追い風が吹くらしい、よ。
うわー、むちゃくちゃ楽しみー!!

みなさま、ぜひ味方をして追い風を吹いてください💕
どうぞよろしくお願いいたしま〜す😄💕

昨日の夕暮れ。夕日を受けた雲がとっても綺麗でした





2018年1月28日日曜日

毒出しのススメ



ベルンからジュネーブに向かう電車からの眺め。
写真には写ってませんが、キツネも見ました☆

年末年始、日本に滞在している時から、
私にとって、かなり大きな心の揺れが生じる出来事が
いくつか起こりました。

それをきっかけにすごく痛感したのが「毒を出すことの重要さ」。

いろんな方にセッションをやってきた中でも、
そう感じるようになってきたところでした。
あ、ここでは感情的なことについて言ってます。


たまたま今日見た、とあるブログ。
「ネガティブな言葉を出したら、それは自分に返ってくる」。

うん。

言いたいことわかる。

「いつまでも」そして「いつでも」ネガティブなことを
言ってると確かにそれは自分に返ってくる、
つまり自分を痛めることになる。



でもね、体が受け付けられないようなものを
もし食べちゃったら、吐くか下痢するかを
しるしかない。ネガティブはいけない、と
内側に溜め込んでおくのは、腐ったものを
食べちゃっても、下痢は汚いからしてはいけません、って
言ってるようなものだと思う。
そんなことして溜めておいたら、後々大変なことになっちゃう。

誰かに、あるいは何かに怒る。
感情という反射。
でも私たちは、これを理性でなんとか抑えようとする。
そんなことで怒ったってしょうがない、
怒るだけ時間の無駄、私にも原因はあったのだし、
あの人だって悪気はなかったのだろうし、、、

そんな感じ。
でも、そう、これって抑えてるだけ。
怒りはなくなるわけじゃない。しばらく抑えれば
なんとなく消える気がしたりするんだけど
実は消えてない。体の奥深く
入っていくだけなのです。
そして消化されない
エネルギーとなって溜まっていく。
恨み、みたいに。
そしてそのエネルギーは、
ある時いろんな反撃を始めます。
それは病気という形で現れるかもしれない、
怪我かもしれない、あるいは他の人に対する
イラつきとして出てくるかもしれない。
その頃には、それらの現れの元々の原因が
なんなのか、とっても見えにくく
なってしまっているでしょう。

じゃあ、しょっちゅうキレてる人は
感情を素直に出してるからいいってこと?
もちろん、そんなことはありません。
キレやすいっていうのは、ただのパターンで
キレたところで本人はスッキリと解放されてるわけではないのです。
脳の障害等の健康上の問題が原因の場合以外は、
そのパターンをつくった感情的な要因があるケースが
ほとんどで、そこを解放していく必要があります。
いつも怒ってる、って人もね。


先述のブログに
「ネガテイブな言葉を出している人の顔は醜い」とありました。
私たち大人はほぼみんな、これまでいろんな感情を
抑圧してきていますから、何かネガティブなことをいうと、
これまでの積み重なった恨みつらみが
べっとりとそこに付いてきて、とってもいやーな感じになったりします。
でもね、そんなこと言わなくったって、
頑張って笑顔つくったって、抑圧されたエネルギーって、
そこはかとなく(あるいは露骨に)醸し出されてくるのですよ。
だから言うか言わないかって、最終的にはあんまり関係ない。


で、子供って本当にすごくて。
抑圧されていない子供であれば、
「イヤだ!」「嫌い!」てなことを言っても
そこに積み重なった恨みがないので、
言葉のエネルギーは実にカラッとしてるのです。
ところが、大人がそこで
「そんなこと言うもんじゃありません!」なんて
余計なことを言うもんだから^^;、
子供も徐々に自分の感情を抑圧していくようになる。
あるいは親がいないところで、いろんなことをするようになる。
つまり陰険になってっちゃうのよ〜。
喧嘩でもね、子供ってやり切らせると、
しばらくするとけろっと仲良く遊んだりする。
大人が子供をどれだけ信頼して見守れるか、なんだと思います。
(喧嘩に限ったことではありません。自分で書いといて耳が痛いわ。汗)



・・・ということで、出しきる。

思考をぐちゃぐちゃ入れずに、感情だけを素直に出しきる。
もちろん、怒りの対象者を直接ボコボコに殴ったり
罵倒罵声をあびせろということじゃないです^^
心の中で自分の怒りを受けとめて、相手を罵倒したければ
遠慮せずガンガン言いたいだけ言う(繰り返しますが、
心の中で、ね)。汚い言葉だろうがバンバン
使って構わない。ノートに書きなぐるのもいい手です。
実際に声を出したければ、カラオケボックスにでも
行って叫ぶ、サンドバッグをボコボコ殴りながら
吠える、、、、他にも良い方法があるかもしれません。
とにかく徹底的に出すのです。ここミソ。徹底的に。
一回じゃ出しきれないかもしれませんが。そしたら
必要なだけ何度もしたらいいと思います。

それだけのことなのですが、大事なのは
これは自分の感情の解放のためであって、誰かに
向けてやるのではないってこと。
だから恨みや呪い(!)の念を相手にとばすって
ものじゃないのですよ。そして怒りの対象を最終的には
赦すんだってことを、頭のどこか片隅でいいから理解してること。

システマでは、相手に恨みが残らないパンチをするって
ようなことをシステマ・インストラクター文ちゃんから
聞いたことあります。素敵ですね〜。
そんな感じです、きっと。

「ネガティブな感情はよくない」という信念が
強い人、「怒ってはいけない」と思ってる人は
そんな感情を持っている自分も全部受けとめてあげる。

食あたりの時の下痢や嘔吐と一緒。出しきる。
出しきると気づくのですよ。その怒りの奥にあるものが。

それは、遠い遠い記憶だったりします。
自己肯定感の低さ、抑圧された昔の感情、寂しかった思い、、、。

そこに気づいたら、
その時の悲しかった自分、辛かった自分を
十分にいたわってあげてくださいね。
そうすると、雨上がりの青空の下
水たまりが、いつのまにか蒸発してなくなっているように
怒りも自然に消えていきます。




ジュネーブの朝焼け


2017年10月25日水曜日

「感情や思考は自分の本質を表すものではない」を実感する今日この頃





この時期の通常の気温に比べると、相当暖かい日が
続いていますが、ジュネーブも木々が色づき、
だいぶ秋らしい景色になってきました。


で、タイトル通りなのですが、
本当に人間はどこまでも変われるものなんだなあと
日々改めて実感しています。

私には8歳の息子がいるのですが、
彼と過ごす時間がとっても、とっても楽しいのです。
そして、かわいいなあ、といつもしみじみ思う。

でも前は全然そんなんじゃなかった。

「育児をストレスにしてしまったのは」でも書いたのですが、
子供といる時間は、私の自由を奪われている時間でしかなかった。
だから子供といる時間が苦痛で苦痛で。
少しでも子供と離れて一人でいる時間がほしい、と思っていた。
そして子育てなんてそんなもんなんだろうと思っていた。
だから世のお母さんたち、しかも子供が何人もいて、
その上ずっと子供の面倒をみて家事に専念している
専業主婦なんてスーパーヒーロー!いや、ヒロイン!!って
尊敬の目で見ていました(あ、今でもそうですよ)。

以前の投稿で書いた通り、私にとって子育てが
苦痛だった大きな要因は、自分の自由を
信頼できていなかったことにありました。
その理由は、主に母との関係にあって、
自分は束縛されている、自由でいることができない、
逃げたい、と子供の頃から
意識の奥底で思っていたからだったのです。

そんな自覚も記憶も全くなかったので、
それを知った時は、ええええ???と、
かなりびっくりだったんだけど。

私は小さい時から、言いたいことはなんでも
はっきり言う方でしたし、やりたいことも
なんでもやってきていると思っていた。
だから子育てを除いて、自分が自由じゃないなんて
思ったことなんてなかったのです。

でもよくよく思い返してみて、
どこかでそう思ってたんだろうな、と腑に落ちていきました。


ほんと、自分のことでも知らないこと、
気づいてないことだらけです。

というか、知ってることなんて
多分ほんの些細なことでしかないんだろうな
と思ってます。


そんな私でしたが、なんどもIHのセッションを
受けて、自由への信頼を少しづつ取り戻していくことで
いつのまにか息子に対する感情や感覚が
面白いほど変わっていったのです。
変えようとしたわけでもないのに。


私はべつに悪い人ではないので(笑)、
常にいろんな人や物事に感謝していました。
感謝しなきゃいけない、ありがたいと思わなきゃいけない。
そうやって頭で、そして理性でいつも感謝していました。
でも当時の私の心の中にあったのは、感謝の気持ちや
幸福感ではなくて、怒りや嫌悪感、不満、そして
不安だったんだな、と今になるとわかります。

その渦中にいると、気づかないものですが、
抜け出してみると、よくわかるのです。

今では、暖かく守られている感覚が
体の奥からじんわりと、折々にのぼってくる。
こんなの、昔は感じたことなかった。
ああ、こんなのがあったんだ、っていう
知っているような知らないような、
そんなとても満たされた感覚がやってきて
やっぱりこっちの方が断然いいな、と思うのです。



いつも買い物をする近所の市場。生の生姜って初めてみました

色とりどりの綺麗な野菜たち

きのこ屋さん。ここに写ってる舞茸、しいたけ以外にもエリンギやエノキダケもあります。



2017年7月19日水曜日

頭の中のスイッチを切ってみる


ある朝のことです。

目が覚めて、起き上がるまでぼーっとベッドでしている時、
ふっ、と頭の中が静かになり、体の中で満ちていく感覚が
起こりました。それは数秒だったか数十秒だったか。
そんなとても短い時間でした。
でも、満ちた感覚が静かに広がっていく、豊かな時間でもありました。
静かな草原で、静かに月明かりを浴びているような。

ああ、これが「今、ここに存在する」っていうことなんだな。
そう思いました。

この状態と比べると、通常の私の頭の中って
渋谷の交差点の動画を早回しにしたような
落ち着きのなさだなあ。。。
随分無駄に頭を回転させてるのだと思います^^;

去年、「君の名は」という映画が話題になりましたよね。
あれを観た時、話が展開するスピードの速さと
画面からの情報量の多さが、すごくいまどきだと
思ったものでした。あ、お話は面白かったですよ。😊 

多くの人がこれだけの刺激の量に晒されていることに
慣れていて、ちょっと中毒というか、その刺激がないと
いられないような状態になっていて、
それって自覚はなくとも、きっと随分
疲れることなんだと思います。

かくいう私も、この小さな体験のおかげで、
頭の中がかなりごちゃごちゃガチャガチャしてるのだと
気づかされたわけですが。

自分で情報端末を操作してるだけでなく、
街の中にも動画の広告が溢れてるし、音楽や広告が
常に耳から入ってくるし。私たちの感覚神経は
相当過酷な労働を強いられているのだと思います。
そしていつも考えることがいっぱい。
そんな中で、マインドフルネスなんて言葉が
よく聞かれるようになるのは、当然の流れなのでしょうね。
瞑想や座禅、そういったものが、これからますます
大事な健康法になってくるんじゃないのかなあ。


ほんの短い時間でも頭の中を静かにする時間をつくってみる

これ、オススメです☆


2017年7月7日金曜日

夏になって思うこと



最近、ジュネーブはまた暑い日が続いています。

2週間ほど前だったか、記録的な暑さになった時は

かなりぐったりしましたが、こっちは暑いと、

みんな素直に露出度が高くなるところが好きです。

老いも若きも細きも太きも、短パン、ミニスカート、ノースリーブ。

湖に行けば、これまた年齢やスタイルに関わらず、ビキニ率、かなり高し。

それ見て「イタいよね〜」なんて言うヒマな人もいません(多分)。



みんなが自分の好きな服を、頑張らずに、気負らずに、ごく自然に着られたら、

なんかそれだけでも、随分と素敵な社会になる気がします。







2017年6月22日木曜日

私の夜のお楽しみ

私には現在8歳の息子がおりまして、毎晩彼が寝るときにFI (フェルデンクライスの「機能統合」と呼ばれる一対一のレッスン)をするのが、最近のお遊び。ベッドの上で入眠の妨げにならない範囲でのものですから、かなり「なんちゃって」な要素は強いです。でもとっても楽しいのです。息子も「あ〜、気持ちいい〜」と喜んでくれるし😊。息子は骨格や筋肉などの身体機能面でかなりいろんな問題、、、いえ!、学びの余地が沢山あるのでやりがいがあります😅

そう、学びの余地、気づきの余地、可能性、なのですよね。

体に眠っている可能性を一緒に探していく。
体がまだ気づいていない選択肢を一緒に掘り起こす。

それはそれは、とっても楽しい時間なのです。
フェルデンクライスも、どんどんやっていきたいなあ!、と気持ちを新たにしてもらえます。


ここのところ、ずっと彼の足で遊んでいるのですが、右脚が全体的に重い。そして右足はいわゆる鎌足、バナナ足になっている。そうなるのは、息子の体がそれを合理的と判断しているからです。では、なぜそう判断しているのか?そこを探っていくと、右の股関節の回旋具合が相当偏っていることに繋がっているのが見えてきます。股関節をつけ間違えたんじゃないか、と思うぐらい、過度に内旋するけど、全くと言っていいほど外旋しない。これではバナナ足になるのは当然なのですよね。この状態で、もし例えばバレエを習ったとして、バナナ足を直そうと足首から先だけを外向きに無理やりしていたら、確実に足首と膝を傷めるでしょう。
そこで昨晩、股関節と骨盤の動きを色々探っていたのですが、ああ、そうだ、IHの股関節回旋の調整があった、と思い出しました。筋反射で調整する場所を見つけて行う、割と手軽にできる調整なのでやってみることにしました。そしてもう一つ、最近私が遊んでいることがあって、体感の反射を筋反射の代わりに使うという、名付けて「体感反射」。これで調整場所を見つけて調整していきました(息子はすでに眠りに落ちています)。IHでの調整では、筋反射で「これ以上調整は必要ない」と出るまで調整を続けるのですが、昨日は、ま、この辺りで今日はいいかな〜、と思ったところまで、というゆるゆる調整。それでも回旋具合を再度見てみると、おおー!前よりだいぶ外旋するようになってるー!!
おもしろい〜♪

今晩もまた遊ぶのが楽しみ☆