なにかを習得しようとするとき
私達は練習をします。
からだに染み込ませようとします。
考えずとも自然にからだが動けるように。
でも上達が早い人もいれば遅い人もいる。
その差はどこにあるのでしょう?
練習量の差?
熱意の差?
もちろんそれもありますよね。
でも一生懸命練習しているのに、なかなか上達できないって人もいる。
それどころか練習しすぎて怪我してしまう、なんてことも。
量だけでは埋められないものがある。
ひとはそれを「才能の違い」と言ったりもします。
でもそれって具体的に何なんでしょう。
頭が目指す方向
体が向いている方向
このふたつがどれだけ一致しているか。
これはすごく大きいのです。
向いている方向と全然違うところに
からだを無理やり頭でひっぱろうとしても
からだは嫌がります。
ではどうすれば良いのか
どうすればあたまとからだの
整合性がとれていくのか
観察していくこと。
自分がなにをしているのか、
からだがなにをしているのか
思考を押し付けずに静かに観察していく。
(押し付けようとしている自分がいたら
それも静かに観察していく)
細かく細かく丁寧に
頭が思い込みを手放すと
体も不要なパターンに気づいてくれる。
カメラのピントが合っていくように
あたまとからだの方位性が合っていく。
今までなかなかできなかったものが
思考による分析ではなく
体感をともなった主体的な経験なのです。
そんな、気づきが起こる場を持つことが
すごく大事だと思ってます。
小さな気づきの大きなちから