サービスのご案内


フェルデンクライス・ATMクラス:毎週火曜日19:30−20:45
場所:Conte-Sapporo
札幌市西区琴似1条4丁目2−15ニシムラビル4F
(東西線琴似駅すぐ)
http://conte-sapporo.com/evb_feldenkrais.php

フェルデンクライス・FIレッスン:完全予約制
場所:地下鉄円山公園駅徒歩5分
料金:8,000円(ATMクラス受講者、子供は割引あり)


Integrated Healingセッション:完全予約制
対面:15,000円
スカイプ:13,000

ご興味のある方、どうぞお気軽にお問い合わせください。
fk-hakusan[at]hotmail.co.jp
(*[at]を@マークに変えてください)
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2018年6月22日金曜日

子供から学ぶこと




























子供はよく、やだ!やりたくない!!、などと
言って泣き叫んだりしますよね。
私はその姿につくづく敬意を抱いてしまうのです。
ああやって、自分の嫌いなことを
はっきりと嫌いだと言えて、すごいなーって。

ちなみに私は、むかし子供が苦手
・・・っていうか、はっきり言って
キライ(!)で、駄々こねたり
泣き叫んだりされようなものなら
すごくイライラしてました。

それが今やこう思うのだから、人間、結構変わるものですよね。^^


例えば私が作ったものを「美味しくない」と
言ったり、とかね、
いやー、その正直さ、素晴らしすぎっ!!
爽快感すらあります。

そこには、私に対する悪意なんて
もちろん全然なくて、ただ美味しくない、
という自分の感覚に正直なだけ。

だから、からっとしてるんですよね。

それを大人が「そんなこというもんじゃなりません!」
なんて言って、その感情を抑圧すると
どんどんジメジメしてきちゃうのです。

だって、感情は抑圧されたからといって
なくなるわけではないから。

押し込められて不自然な形になっていくだけ。
その現れ方は色々ありますが、
正義と嫉妬とでも
書いたような、正直に感情表現している人に
イラっとしたりするっていうのは
一つのいい例です。

もちろん、大人になって
誰かが作ってくれたものに対して
面と向かって「まずい!」と
叫ぶのがいいといってるわけではありません。
だけど、美味しくないと思ってる自分を
認めて尊重してあげるのは大事なこと。


大人になるにつれて、人の目を
気にするようになったり、
そんなこと言ったら失礼かな、なんて考えて
自分の素直な気持ちを出さなくなってきます。
出さないだけなら、まだしも
そんなこと思っちゃいけない、
感謝の気持ちを持つべきだ、
これは体にいいのだから、食べなきゃ、、
なんて、思考を押し付けていくと
感覚はどんどん阻害されていく。
そんなことを続けていくと、一体
自分は何が好きなのか、
何をしたいのか、ってことも
わからなくなってしまう。
(私も、かつて、ここに陥りました)

そういう意味でもね、子供って
自分の感覚としっかりつながって
いる偉大な先生です。


例えば、この靴下じゃなくて
あっちのじゃないと絶対やだ!とか
そんなことで駄々こねたりするじゃないですか。
どっちだって一緒でしょっ!!、と
大人は言いたくなるのですが
(特に忙しい時とかね^^;)
同じじゃないのです、本人には。
論理的な説明ができなくても
その感覚は、本人にとって確固としたもの。

そういう子供の感覚を
否定せずに受けとめてあげるって
自分を信頼する力を育むためにも
すごく大事なことだと思ってます。
(その上で、子供のやりたいことが
できなかったとしても、それはそれで
いいのです)


なんだかわかんないけど、こだわってるなあ
面白いなあと、その様子を楽しめると
子供との共生が、より豊かに
なってくるんだと思います。





2017年11月29日水曜日

フェルデンクライスと赤ちゃんと劣等感と

フェルデンクライス・ジャパン主催のトレーニング
(プラクティショナー養成のためのコース)で、
通訳をさせていただきました。

呼んでくださった主催者のかさみさん、教育監督のステファニー、
本当にありがとうございました!

スタッフのみなさん、生徒さんたちにまた会うことができて、
本当に嬉しかったです。
そして一年ぶりに日本に行けたのも^^


今回のトレーニング、何が素敵だったって、
生徒さんの一人が毎日5ヶ月の赤ちゃんを連れて
参加していたこと!そしてみんながそれを温かく
見守っていたこと。小さい子供がいても、
周りの人たちに助けてもらいながら、
そしてお母さんも赤ちゃんとの時間を犠牲にすることなく
やりたいことをやってるって素敵ですよねえ。


赤ちゃんは、何もできない手のかかる存在ではなく、偉大な先生。

フェルデンクライスでは、赤ちゃんの動きを
通して学び方を学ぶと言っているので、
みんなただ赤ちゃんをあやしているだけでなく、
そこから学ぼうと敬意を持って接している、
その関係性も、とても心地よかったのです。



こちらはフェルデンクライス業界ではよく知られた動画。
赤ちゃんの動きとメソッドのつながりがよくわかります。





そこからつらつらと、高校時代の
珍事件(?)をふと思い出しました。
家庭科のテストでのこと。
「子は( )である」、この( )の
中に適切な語を入れなさい、という問いがあって、
「国の宝」って書いたらバツにされた!
おかしいと思わない?!と憤慨していた同級生がいました。
教科書に同じ文章があって、その通りに書かなかったから
バツ、だったわけですね。

でもほんと、子は国の宝じゃんね。

Tちゃん、高校生にしてそんなことわかってたなんてすごいよ。
卒業後、日本最高学府に進学したけど、今頃どこでなにしてるのかな。


今回のトレーナーのポールも言っていました。
「赤ちゃんにはまだ劣等感がない。
だからみんな赤ちゃんのことを好きになるのです」

自信がない、私は〜がうまくできない、こういう意識を
持っていると、それは劣等感だと自覚できるのですが
実はもっと色々あるのですよね。
例えば、人を見下す、自分の失敗を認めようとしない、
競争心が強い、優越感を持ちたがる、
これらも劣等感のバリエーションの一つ。
そういう傾向のある人たちは、自覚は全くなくとも
大抵深いところに劣等意識を抱えています。
自分に対する安心感がないから、周りの人を
落とすことで自分の安全を保とうとするわけです。
無意識で行なっている自己防衛なんですよね。

赤ちゃんには劣等感がない、つまり
どっちが上、下、という優劣意識がなく、
自分のことも人のことも批判したりしない。
それってやっぱり素敵なことですよね。


赤ちゃんから教わることは実に多いです。



 東京到着翌日に広尾商店街を歩いていたら、
東京タワーが見えて、わけもなくジーンと感動。
いいなあ、東京タワー




2017年10月25日水曜日

「感情や思考は自分の本質を表すものではない」を実感する今日この頃





この時期の通常の気温に比べると、相当暖かい日が
続いていますが、ジュネーブも木々が色づき、
だいぶ秋らしい景色になってきました。


で、タイトル通りなのですが、
本当に人間はどこまでも変われるものなんだなあと
日々改めて実感しています。

私には8歳の息子がいるのですが、
彼と過ごす時間がとっても、とっても楽しいのです。
そして、かわいいなあ、といつもしみじみ思う。

でも前は全然そんなんじゃなかった。

「育児をストレスにしてしまったのは」でも書いたのですが、
子供といる時間は、私の自由を奪われている時間でしかなかった。
だから子供といる時間が苦痛で苦痛で。
少しでも子供と離れて一人でいる時間がほしい、と思っていた。
そして子育てなんてそんなもんなんだろうと思っていた。
だから世のお母さんたち、しかも子供が何人もいて、
その上ずっと子供の面倒をみて家事に専念している
専業主婦なんてスーパーヒーロー!いや、ヒロイン!!って
尊敬の目で見ていました(あ、今でもそうですよ)。

以前の投稿で書いた通り、私にとって子育てが
苦痛だった大きな要因は、自分の自由を
信頼できていなかったことにありました。
その理由は、主に母との関係にあって、
自分は束縛されている、自由でいることができない、
逃げたい、と子供の頃から
意識の奥底で思っていたからだったのです。

そんな自覚も記憶も全くなかったので、
それを知った時は、ええええ???と、
かなりびっくりだったんだけど。

私は小さい時から、言いたいことはなんでも
はっきり言う方でしたし、やりたいことも
なんでもやってきていると思っていた。
だから子育てを除いて、自分が自由じゃないなんて
思ったことなんてなかったのです。

でもよくよく思い返してみて、
どこかでそう思ってたんだろうな、と腑に落ちていきました。


ほんと、自分のことでも知らないこと、
気づいてないことだらけです。

というか、知ってることなんて
多分ほんの些細なことでしかないんだろうな
と思ってます。


そんな私でしたが、なんどもIHのセッションを
受けて、自由への信頼を少しづつ取り戻していくことで
いつのまにか息子に対する感情や感覚が
面白いほど変わっていったのです。
変えようとしたわけでもないのに。


私はべつに悪い人ではないので(笑)、
常にいろんな人や物事に感謝していました。
感謝しなきゃいけない、ありがたいと思わなきゃいけない。
そうやって頭で、そして理性でいつも感謝していました。
でも当時の私の心の中にあったのは、感謝の気持ちや
幸福感ではなくて、怒りや嫌悪感、不満、そして
不安だったんだな、と今になるとわかります。

その渦中にいると、気づかないものですが、
抜け出してみると、よくわかるのです。

今では、暖かく守られている感覚が
体の奥からじんわりと、折々にのぼってくる。
こんなの、昔は感じたことなかった。
ああ、こんなのがあったんだ、っていう
知っているような知らないような、
そんなとても満たされた感覚がやってきて
やっぱりこっちの方が断然いいな、と思うのです。



いつも買い物をする近所の市場。生の生姜って初めてみました

色とりどりの綺麗な野菜たち

きのこ屋さん。ここに写ってる舞茸、しいたけ以外にもエリンギやエノキダケもあります。



2017年7月11日火曜日

育児をストレスにしてしまったのは

束縛への恐れと自由への渇望が私の奥深くにあったと
前回書いたのですが、この渇望と恐れが大暴れしたのが、
子供が生まれてからのことでした。

子供が欲しいと思っていましたし、妊娠中はつわりも
それほどひどくなく、絶好調。
これから始まる子供との生活に毎日ワクワクしていました。
ところが、子供が生まれてからは一気に絶不調。
難産になり、産後の肥立ちがよくなかったことも
ありましたが、精神的に見事に落ち込んだのです。
しかも息子は全然寝てくれなくて、常にぐずっている。
彼も難産でなかなか出てこられなくて
怖くて辛かったのだろうな、と思います。

そんなストレスまみれの、育児新米時代。
「大変だろうけど、子供は可愛いでしょう?」と
ある時知り合いに言われて、気づいてしまいました。
私、子供を可愛いと思っていない。。。
可愛くないとは思っていない。でも積極的に可愛いとは
全く思っていないのです。
産後、体調もなかなか回復せず、
ホルモンのバランスも崩れていたのでしょう。
ひどい湿疹に襲われたりもしたし、妊娠中は
たいして体重が増えなかったのに、産後いきなり増えて
授乳しているのにちっとも減らなかった。
こんなに大変な思いをしてるのに、なんでワタシ
太ってるの?と、とにかく何から何までストレス。
かなり、産後うつと言える状態でした。

当時私が感じていたことは、
「子供に私の人生を奪われた」、
「子孫も残したし(一人産んだぐらいで言うかね)
もう私の役割は終わった。あとは死ぬだけ」(!!!)


それにしても赤ちゃんのお世話ってなんて大変なのか。
経験するまで、全くわかりませんでした。
世のお母さんたちは本当にすごいです。
しかも専業主婦で、赤ちゃんや小さな子供と
ずっと一緒に1日いるなんて、神様!!
なのに、「専業主婦はヒマ」なんて暴言が
暴言とも思われず、まかり通ってるのだから、
とんでもないことです(いや、実は私も子供が
生まれるまで、そう思っていた・・・)

赤ちゃんがいると、ご飯をゆっくり食べられないのは
もちろんのこと、家事にしたって、途中でなんども
中断しなきゃいけなく、最初から最後までやり遂げられない、
これね、一回や2回そういうことがあったって
ストレスにはなりませんが、ずーっと続くと
結構神経にキます。
そして夜中はもちろん何度も起こされる(あ、でも
授乳中のお母さんの睡眠のリズムは特別な状態になっていて
断片的な眠りでも大丈夫になっているのだとか。
だから夜まとまった時間眠れなくても
心配しなくていいみたいですよ。自然はすごい!)。
一言でいえば、何一つ、ほんとに些細なことでも
自分の思い通りにやることができない。
自分を束縛するかもしれないものからは逃げなければ!、と
深いところでいつも思ってる人間にとって、
これは拷問だったわけですね。
だからなるべく子供から逃げたかった。
息苦しくて仕方なかったのです。

当時はIHなんて知らなかったし、自分が苦しいのは
子供がいるからという外的要因によるもので、
実は自分の意識が創り出しているだなんて
思いもよらなかった。
でも、起こっている出来事は、ただの出来事であって、
そこには幸も不幸もないのです。
それを幸、不幸、喜び、悲しみ、苦しみ、、、と
私たちの心(脳と言うべきか)が
解釈してるだけ。

赤ちゃんのお世話は、確かに大変なのだけど
それを苦しみだとラベル付けしてしまったのは、私。
大切な子供とのかけがえの時間を、そんな時間に
してしまったのは本当にもったいないことでした。
そして子供の心も傷つけてしまったし。

息子も、これまで何度かIHのセッションを
受けているのですが(私が彼の代理として受けたこともあり)
彼が赤ちゃん時代に感じていた「お母さんが辛そうでかわいそう」
「助けてあげたい、でも自分は助けてあげられない」
という気持ち、などなどが出てきました(もちろん
本人はそんなこと覚えていません)。
そしてそこから生まれた、罪悪感、無力感、
自分の存在が申し訳ない、なんてものまで。


子供は本当にお母さんの幸せを
一生懸命思っているのです。
かけがえのない大好きなお母さんに、
一緒に笑っていてほしいって思っているのです。


だから、世のお母さんたちは癒されていてほしいなあと、すごく思ってます。